阪神淡路大震災から30年が経ちました。
兵庫県西宮市で暮らし始めて7年目でした。
就寝中、かすかに地響きを感じ、トラックが通ったかと思っていたのですが、だんだん大きく強くなり、ドーンときました。関西に来て初めての地震でした。
30年経った今でも、私の体験した地震のなかで最大のものです。
当時、古い木造2階建てアパートに住んでいましたが、建物が頑丈だったのか、建っている方向が良かったのか、全く問題ありませんでした。
かなり被害は出ているだろうと思っていました。しかし状況は全くわかりません。
ただヘリコプターの音と振動だけが、異常に響いていたことを覚えています。
不安がどんどん大きくなり、なぜかわかりませんが、京都に逃げようと車を走らせていました。かなり時間がかかったことは記憶にあるのですが、道中の様子は全く覚えていません。
宿泊したビジネスホテルのテレビで被害状況を見て愕然としました。当事者がなにもわからないのです。後日、阪神高速の太い柱が倒れて鉄筋がむき出し状態を見て、よくアパートが倒れなかったなと思いました。
ちょうどその頃、共同住宅の確認申請を提出していましたが、歩きで所轄の建築審査課に通ってました。窓口はいつでも長蛇の列で、担当の方は相当大変だったと思います。
いまどうしているか、また会って当時の話をしてみたいなと思います。思い出したくないと言われるかもしれませんが。
振り返ると、自分の置かれている状況がわからなくなると不安が広がります。
当時、音と振動を撒き散らかしていたヘリコクターから当事者に向けての情報を発信できる方法があればよかったのではないかと思います。いまでは別の方法もあるでしょう。
ただペリコプターの音を聞くと、いまでも当時のことを思い出します。